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本稿では日本聖書協会刊行による新約聖書(新共同訳)の4福音書を言語資料として、ナル型敬語とレル型敬語が混用されている龋の中から、お入りになる・入られるお着きになる・着かれるお話しになる・話されるを対象として、これら尊敬語形式の使用実態を検討することにより、ナル型敬語とレル型敬語の使い分けに関わる使用上の基準について考察した。その結果、使用上の基準が龋によっては一つの要因のみ直接的に関与する場合や、複数の要因が等価的に関わってくる場合、多数の要因が複合的に作用する場合があり、その関与の仕方は必ずしも一律的ではなく、複雑な様相を見せているという点が確認された。本稿で考察した主な内容を動詞別にまとめると以下の通りである。[1] 入るの尊敬語形式にはナル型敬語お入りになるとレル型敬語入られるがあるが、両者は原則的に使用上の基準に従って使い分けられている。そして、(2)[マタイによる福音書]のイエスは、家にお入りになったと(6)[マルコによる福音書]のイエスが家に入られるとから表れる敬語の混用実態は、単なる福音書間の異同の問題ではなく、剰余的な複数の尊敬語形式が共存する動詞を対象として差別的な敬意度が適用された結果であるとの結論に至る。一方、(3)[マタイによる福音書]のイエスがカファルナウムに入られるとと(11)[ルカによる福音書]のイエスは、カファルナウムに入られた} のように同じレル型敬語が使われているが、述語形態を異にすることにより、各々異なった使用上の基準が働く例もある。[2] 着くの尊敬語形式にはナル型敬語お着きになるとレル型敬語着かれるがあるが、両者は原則的に使用上の基準に従って使い分けられている。一方、(15)[マタイによる福音書]のイエスがガダラ人の地方に着かれるとと(19)[ヨハネによる福音書]の[イエスが]ガリラヤにお着きになるとのように敬語主体や地の文、敍述内容、前後2文の繋がり方が同じであるが、各々異なった使用上の基準が関与して別個の尊敬語形式が選択的に使われている例も確認される。[3] 話すの尊敬語形式にはナル型敬語お話しになるとレル型敬語話されるがあるが、両者は原則的に使用上の基準に従って使い分けられている。一方、(20)[マタイによる福音書]の[イエスは]別のたとえをお話しになったと(24)[マルコによる福音書](27)[ルカによる福音書] (37)[ルカによる福音書](41)[ヨハネによる福音書]のイエス{が・は} たとえを話されたのように敬語主体や地の文、また敍述内容が同じであるが、各々異なった使用上の基準が適用されて、結果的に尊敬語形式を異にする例も存在する。(3)の入られるとと(11)の入られた、(15)の着かれるとと(19)のお着きになると、(20)の別のたとえをお話になったと(24)(27) (37)(41)のたとえを話されたのような現象については、複数の尊敬語形式が可能な動詞においては、その剰余性によって福音書間に異同が発生する可能性を完全には排除し難いが、本稿では飜訳段階において高度に意図された敬語選択がなされており、該当の尊敬語形式と使用上の基準の間には密接な関連性が結ばれているという点を明らかにした。