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本稿では、現代日本語と韓国語の単語「人々」と「사람들」を例に、異なる言語社会のあり方が反映された社会的コノテーションの姿を分析した。分析した結果、次のことが分かった。①デノテ-ションにおいては、「人々」は辞典の記述からも見られるように、ほとんど「一般の人」を 意味するのに対して、「사람들」のほうは、「特定の人」をも意味する。②社会的コノテ-ションにおいては、「人々」は「一般の人たち」が≪困難に直面している≫同情の対象としての姿やそこから自分たちに欠如しているものを≪求める≫姿を暗示的に意味していると同時に、≪導かれる存在≫としての意味もある。③「사람들」には、「人々」と同様に≪困難に直面している存在≫という社会的コノテ-ションが見られる。しかし、一方では、≪先入観⋅偏見に囚われる存在≫という負の社会的コノテ-ションも同時に存在し、また、≪不正を行う存在≫という「人々」とは逆の意味が確認される。「人々」の場合、≪困難に直面している存在≫≪(無知⋅無関心などから)導かれるべき存在≫≪求める(願う)存在≫の3つの社会的コノテーションを想定でき、「사람들」の方は、≪困難に直面している存在≫≪先入観⋅偏見に囚われる存在≫≪不正を行う裕福で出世した人≫などの社会的コノテーションを想定できた。つまり、「人々」と「사람들」は≪困難に直面している存在≫のコノテーションを共有しており、このことは、韓国と日本では<一般の人>が共に気の毒な階層として存在し、また、そのようなものの見方が優勢であることを反映しているといえる。また、「사람들」には「人々」には見られない≪不正を行う≫という社会的コノテーションが確認され、韓国では、<特定の限られた人>として≪裕福で出世した人≫に対する否定的な在り方、ものの見方が存在するということを暗示してくれる。以上から、「人々」「사람들」の両単語における「多くの人たち」という対象に関する切り取りの領域の相違だけでなく、切り取られた同様の領域に対する韓国と日本という両言語社会の異なる社会のあり方、異なるものの見方や社会心理が反映された社会的コノテーション固有の性質が確認できた。今後、社会的コノテーションを抽出するための客観的な言語的証拠を整理するとともに、前述の日本語書き言葉均衡コーパスを利用してジャンル別に取り出される社会的コノテーションの違いがあるのか、について検討する予定である。