초록 close

えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終壓へつけていた。この冒頭の一文をめぐってはさまざまな意見が出されている。確かに「不吉な塊」はこの作品の重要なモチーフと言えよう。「えたいの知れない」とはじめから探索の手を断念しているかのように表現されているが、正体不明であるはずのものは「不・吉・な・塊・」という言葉で表現されている。ここで語る「私」と語られる「私」の存在をうかがうことができよう。語られる過去の「私」は正体不明なものに始終押さえ付けられたのであれば、語る「私」はそれを「不・吉・な・塊・」と言語化するのである。正体不明なはずの「なにか」が「不吉な塊」として表現されたということは、正体不明のまま作品に封じ込められるのでなく言語で意味化され、テクストの中に広げられたことを意味する。このように『檸檬』の主人公「私」は過去の経験を現在の意識で語っていくのである。そこにはだたの過去を語っていく「私」ではなく、語る現在の「私」の意識が入り込んでいる。過去を語るということは過去の出来事をそのまま並べていくことではないだろう。語る現在の「私」が言おうとする目的にそってその出来事を再構成することであろう。過去の出来事であった「檸檬」は「つまりはこの重さなんだな」という個人的な発見によって、新たな価値の体系が作られたことを意味するのである。そしてその過去の体験は価値の体系として言語化され、意味化されるのである。「檸檬」はLemonではなく、「不吉な塊」は正体不明なものでなく、価値ある記号への変化を意味するのである。つまり、この物語は言語を獲得して「私」の物語として読むことができよう。