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前近代地理上の発見以降、キリスト教の本格的な東アジア伝教の過程において、中国をはじめ朝鮮、日本におけるキリスト教受容の様子は各々事情によって異なるあり方を示した。その展開過程において伝教する側、受容する側共に文化の衝突を経験せざるをえなかった。他者の存在が自我を映す鏡の役割をすることを考えると、外部からの刺激への反応様相を検討することは、自分の抱いてきたものをよりはっきりする一つの方法として意味を持つ。江戸初期の知識人の外来思想の受容の様相を、1606年江戸初期の代表的な儒者林羅山とイエズス会の修道士不干斎巴鼻庵との論争を通じて考察した。キリスト教をめぐるその論争は当代それぞれ最高の知識人としての自負心の満ちた、両者の一歩も譲らない様子を生々しく描く。地球図など、西洋からの器物を手がかりに展開された論争の核心は、天主や朱子学的理という各々の「絶対者」の存在であった。