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幣原外交と間島5・30事件 -幣原の間島構想を中心に- 李 盛 煥 本論文は、満州事変直前に発生した間島5・30事件をめぐる幣原外交の展開を分析したものである。幣原構想と呼ぶべき彼の対間島政策は、外交手段を通じて間島において日中両国警察の協力体制を構築しようとするものであった。しかし、こうした幣原の構想は、中国警察の運用を日本側に従属させるものであったため、中国側の強い抵抗に直面することになった。特に国権回復運動を背景とする、間島における中国民衆の強い抵抗は、幣原構想の実現を困難にしていた。他方、幣原の間島構想は、中国との協調を前提にしているなどの点で、国内的には朝鮮総督府と朝鮮軍、拓務省などより軟弱外交として強く非難された。こうした状況の中で、満州事変の勃発は彼の構想の展開を不可能にした。 ここで指摘したいのは、次の二点である。第一、幣原の間島構想は、1920年の間島出兵で見らるように、武力を背景にした従来の日本の対間島政策に比べると外交手段でそれ実現しようしていたという点において、ある程度評価できる側面があった。しかし、幣原の間島構想が中国側に一方的従属を強要していたというなどの点は、彼の協調外交の限界を示すものであった。 第二に、幣原の間島構想は、日本の間島政策がすでに限界に達し、中国の協力なしでは間島朝鮮人社会に対する統制が困難であり、延いてはそれが朝鮮植民地支配体制そのものを脅かすことになるという危機認識から出発していたことを明らかにした。間島問題に限って、極端的な言い方をすると、彼の構想は本質的には、日本の植民地体制の防衛のための一手段に過ぎなかったといえよう。