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주 제 어ヨロッパ世界史, 京都派, 現代日本の世界史的使命, 世界の多中心性, 民族的主性Western Europe, the Kyoto School, Counter-Imperialism of Japan, Multi-Polarization, National Identity


本稿は、近代朝鮮における近代性に関する問題を、これまでの研究とは異なり、「ヨーロッパ世界史」との出会いという見方から考察したものである。近代朝鮮における近代の過程は、ことに植民地時代に入って以降、「ヨーロッパ世界史」とそれを東アジアでいち早く体現していた「帝国日本」の「自己限定的な世界史的世界」という二つの錯綜した「世界史」の狭間で形成されていた。本稿は、こうした近代朝鮮の「ヨーロッパ世界史」への組み入れが「帝国日本」を通じて行われたという事実とともに、それの持つ二重性および歪んだ側面を明らかにする。 こうした作業に取り組んでいくための手がかりとして、本稿では、主に植民地時代の「知識人」であったマルクス歴史哲学者たちの「世界史」言説を分析した。日本の場合、「世界史」言説は、一九三七年の日中戦争の勃発と総力戦体制に突入する一九三八年前後の時期に集中的に語られた。西田幾多郎を始めとして三木清、高山岩男なとの「京都学派」がその代表的な人物であった。彼らの「世界史」言説は、ことに徐寅植、申南澈、そして朴致祐などのようなマルクス系歴史哲学者に大きな影響を与えることになる。しかしながら、「解放」の後、彼ら歴史哲学者によって語られた「世界史」言説は「民族的主体性」を声高に唱える朴鍾鴻と安浩相などの民族主義系列によって抑圧の対象になっていく。 これまで韓国の学界では「世界化(国際化)」もしくは「地球化」の問題は、主に「世界化と民族文化」ないし「世界化と自己同一性」という形で受け入れてきた。しかしながら、近代朝鮮における「ヨーロッパ世界史」の経験を振り返ってみると、こうした受容の仕方は近代にすでに語られた言説をくりかえす側面があるのも否定できない。現在、アメリカの主導によるグローバル化が進むことにより、ヨーロッパが「地方化」しつつある。これは、「世界史(World History)」から「地球史(Global History)」への長期間にわたる転換の結果でもある。こうした時代のパラダイム的転換期にあたり、従来のような「民族的主体性」のみで「世界化(国際化)」に対応することができなくなってきている。したがって、この「民族的主体性」を相対化するための作業の一環として、植民地時代におけるマルクス系歴史哲学者たちの「世界史」言説は今日改めて検討すべき余地がある。本稿は、このように、近代朝鮮の「ヨーロッパ世界史」の経験を通じ、現在の韓国における「世界史」もしくは「地球史」の言説を批判的に位置づけるきっかけとしたい。