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植民地朝鮮と新羅の心象地理 許炳植 (東國大) 朝鮮の多くの遺跡と文物は、近代的な「観光」の對象として再発見されるのだが、これには日本帝国のまなざしが働いている。西洋における「ツーリズム」の誕生は、植民地主義という近代のまなざしの創出と深く関わっている。植民地を観光の対象として再発見することは、同時にそれを外部のまなざしへ露出=展示することでもあるのだ。朝鮮の都市空間は鉄道の開設とともに「見られる」対象として再発見される。こうした支配側のまなざしによって開発された「観光」は、植民地知識人たちの內面=心象地理をも形作ることとなる。 植民地期、慶州紀行を書いた多くの植民地朝鮮人の旅が、彼らの內面の産出にどのように作用しているのかを把握することは、慶州という空間の表象を理解するためにも必要な作業である。直接経験したことを記述するという旅行記の形式は、経験をテキストに変換するテキスト製作の実践でもある。こうしたテキスト化する作業は、観察と解釈、そして対話の結果として提出され、発見の物語として提示される。植民地朝鮮人における慶州旅行の経験は、過去の伝統としての新羅の文化とどのような方法で対話し、それを解釈し、また提示しているのかを示してくれる興味深いテキストである。植民地知識人は過去の文明の栄光を誇示することによって、帝国主義の秩序を認めてしまうという逆説に直面する。この時、新羅は、伝統の重要なアレゴリーとして、もしくは近代とは異なるなにものかを呼び起すアレゴリーとして機能しているのである。モダニティが未来を通じて、過去を絶えず植民化するとき、伝統としての新羅は、モタニディという鏡のなかに永遠に閉じ込められるのであろう。