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古代韓日関係史は《日本書紀》の史料を根拠に復元されて来たと言える。これは《三国史記》と《三国遺事》のような韓国側の古代史料だけではなく、中国史料においても両国の関係を比較する記事が相対的に存在しないからである。このような文献史料の偏向的な残存様相は両国の関係を当時の東アジア情勢の認識と古代国家形成の発展過程とは違う古代韓日関係史象を描き出したと見られる。したがって、ここでは六世紀初めの韓日地域世界の情況を見せてくれる根本史料である〈継体紀〉の問題点に対して検討して見た。その結果、〈継体紀〉の史料的な特徴は六世紀初めの天皇の行績を記述する記録にもかかわらず、大部分が百済と加耶を含めた古代韓半島国々の関連内容で満たされたという点である。引用した元史料は《百済本紀》と金官加耶、大加耶の加耶係の史料、日本側の所伝などを基礎にしたということが分かったのである。その中でも近江毛野臣の派遣、南加羅の滅亡、磐井の戦争、継体の死亡などのような問題は歴史的な事実と関連性を持つものと思われる。前者の三つの事件は加耶の滅亡過程と関連性が深く、継体の死亡はこれらとは直接的な関係はないが、年次の違いによって三つの事件の発生時期が三年ずつ繰り上げられ、《日本書紀》に記録されたために影響を与えたということが分かる。この違いは《日本書紀》編纂の時の草稿本と完成本との差として見られ、《百済本記》が年次の修正になんらかの影響を及ぼしたと思われる。また、このような年次修正は、以後の天皇である安閑と宣化の二代の即位操作と欽明即位の記録も八年繰下げたと思う。しかし、この問題は〈欽明紀〉史料の検討と併行させなければならないので、これからの課題になるでしょう。《日本書紀》〈継体紀〉は六世紀の韓日関係史の基礎史料であるが、歴史の復元においては年次問題だけではなく、内容面においてもより批判的な検討が要求されるものと言えるたろう。