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日露戦争* 啓明大學校 國際學部 韓国では、露日戦争という呼び方が一般的であるが、本稿が日本語で作成されたため、便宜上、日露戦争と書く。日清戦争などの用語も、同様である。なお、日露戦争に前後した韓国の正式な国号は、大韓帝国であるが、便宜上、韓国という名称に統一した。 に前後した韓国の中立化政策は、実現可能性が非常に低いものであったといえる。中立化政策を推し進めるためには、当時、朝鮮半島に最も大きな影響を及ぼしていた日本とロシアの承認が必要不可欠であった。しかし、日本とロシアは、韓国の中立政策について何ら関心を示さなかったのみならず、むしろ否定的な態度を取っていたのである。にもかかわらず、韓国が中立化政策を堅持した理由はなんであったのか。これが本論文の主な目的である。 第一に、万国公法への過信である。第二に、これが最も重要な要因であったと思われるが、韓国は、戦争に至る日露の対立の原因を韓国問題ではなく満州問題として認識していた点が指摘できる。第三に、第二の点とも関連して、韓国政府が日露戦争を日清戦争の延長線上のものとして認識していたことである。こうしたことは、日露間における交渉についての情報が韓国政府の政策決定過程に全く反映されなかったことを意味し、国際情勢に関し制約された情報のみを頼りにした韓国政府の政策決定の限界を如実に示すものである。もし、日露間の対立の最も核心的な部分が韓国の処分に関するものであるという認識があったならば、韓国が中立を守りそれを通じて独立を維持するというような発想は出てこないはずである。