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日本における佛像製作は速く六世紀の佛敎公傳以後だと言われている。しかし實際にはすでに佛敎公傳以前に司馬達等によって坂田原に佛像が安置されたという記錄があり、したがってこの時期に佛像の傳來があったと思われている。そして佛敎が公認されるにしたがって飛鳥寺や法隆寺などに盛んに佛像が作られた。しかし、これらお佛像は百濟から傳來されたものか、または渡來人やその子孫達によって作られたものである。 奈良時代から平安時代を經て鎌倉時代に至ると、佛像製作にも新紀元が畵されることになる。そして佛像製作の素材や技術にも新しい要素が加味されてくる。元來、古代の佛像は金銅佛が主なものであった。その後、塑像や乾漆像、木彫などが取って変わり、鎌倉時代に入っては木彫が主流をなすようになった。この時代の佛像彫刻を代表するのが定朝を頂点とする鎌倉佛師である。 彼らは円派․院派․慶派など三派に分かれているが、本稿においては、この中の慶派、すなわち、康慶․運慶․快慶․湛慶などの佛像製作の特徵について考察してみようとするものである。但し、その美術史的特徵については筆者の能力の及ばないところであるから、主にその思想的ないし精神的側面について考えてみたいと思う。 彼らは各々獨自の優れた才能をもって數多くの傑作を作っているが、その反面において數多くの作品を共同製作したという側面も持っている。円成寺の大日如來像や東大寺の二天像などに典型的に表られている。特に康慶と運慶․快慶․湛慶の連なる縱の關係は「運慶樣式」と呼ばれる共通性ないし統一性を持っており、これは日本的「匠」の特徵をよく表わしているものと考えられる。