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本稿は、日本帝国の植民地のもとで行われた教師養成と朝鮮總督府發行の師範學校修身書に描寫された教師の役割に焦点を当てて考察を行なったものである。 日本は植民地下の教員養成制度を総督府の管轄に置き、日本教員数をますます増えつつけてたのである。1938年から1943年の教員構成をみると、普通学校の教員の中で日本人教師は30%、高等普通学校は60%、官立専門学校は89%を示している。教員を養成する師範学校にも1922年から1943年までの統計をみると65%である。これは日本教員を中心に皇民化教育を施行するためである。 師範學校修身書を分析するに当っては、朝鮮の教師の養成は日本の国策の課題を遂行するための人物をつくるためにあったのが明らかである。日本の<師範学校令>で強調したように朝鮮の教員にも、教員の資質として「順良」․「信愛」․「威重」の三つを強調して、権威ある上からの指示におとなしく従う官僚機構の末端機関の使いやすいものにしようとしたのである。植民者日本は、被植民者である朝鮮の人に倫理․哲学․社会․政治․経済等いろんな場面にかけて国家理念を書き連ねて、また繰り返して教育させたのである。師範學校修身書に提示された教師像は学識と徳目を兼備して尊敬される伝統的な教師ではない。植民地政策の下で国家の一律的思想を学生達に詰め込む役割の教師だったのである。それに、国民を忠良なる皇国民に同化させる役割の教師だったことが確認できた。