초록 close

論者はアジア主義を日本の右翼思想の一基底と想定し、その成立と展開様相、それを成立․確立させた人物と団体、その基築を成す思想などを考察した。その結果、論者は日本の右翼思想の基底の問題と関連づけそのアジア主義を次のように整理することが出来る。 日本の右翼思想の一基底としてのアジア主義は自由民権運動を通して成立展開していった。自由民権運動を主導していった勢力は西郷の征韓論に賛成し、また彼の西南戦争の味方となった人々であった。彼らは西欧の列強に対しては敵対的関係を取っていき、アジア国家に対しては協力的関係それとも支配的関係を取っていくという立場をもっていた。それに反して彼らと対立的関係であった明治藩閥政府の人々は西欧の列強に対しては妥協的立場を取っていき、アジア国家に対しては敵対的関係を取っていった。したがって西郷の系列の人々における自由民権運動とは日本の人民の人権伸張を通して西欧列強とは敵対的関係を、アジア国家とは協力的関係をまたは支配的関係を確立していくのであった。アジア主義とは他ならぬそのような諸関係を確立していく過程で成立していくのである。自由民権運動を起こしていった西郷の追從勢力はアジアの諸国家に対して協力的それとも支配的関係を取っていったのは西欧列強と敵対的関係を取っていくためであった。 つまり、征韓論派は西欧の列強と対抗していくためには韓国と中国などのアジア諸国家と協力的を結んでいくかそれともそれらを征服して一大のアジア勢力を造っていくべきだというのであった。したがって彼らのそのような立場を通して成立したアジア主義は基本的に3つの意味を內包している。一つ目は対西欧的立場、二つ目はアジア連合的立場、3つ目は日本中心のアジア的立場である。そのような意味が含まれているアジア主義は朝鮮における甲申政變をきっかけとして自由民権運動が国権運動へと転換していく過程で成立段階から確立段階へと転換していった。そしてそれはアジア連帯という立場から日本中心のアジア的立場のアジア主義へと展開していったのだが、日淸戰爭直後の三國干涉を契機としては西欧帝国主義勢力のアジア侵略に対抗していく過程で大陸侵略主義へと変質していったのである。