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韓國と日本は、昔、植民地と被植民地という特殊な関係であったことで、近代性という影響関係において、両国は垂直關係であろう。それで、このような関係でそれは今日までに韓․日両国の文学的な影響関係が論議つづけられている。従って、本論も両国の文学的な近代性についての考察と同時に「白樺」を中心に文学活動をし、‘自己深究’として代表される日本近代作家志賀直と、「廢墟」同人の一人であり、韓国の近代文学を本格的に導きだしたといわれている廉想涉の文学とを比較考察してみる。そして、本格的な韓国近代文学の先驅者としても称される廉想涉の文学における近代性の根幹を、志賀直哉の文学からも見つけることが出来た。両国の近代文化を解釈することにおいて大きいな成果と言えよう。志賀直哉と廉想涉の初期文學には、作家自信たちの近代意識についての把握程度や近代人としての密度不足から生じた未成熟や無反省的な「自己」が認められた。初期作品につづき、今回の中期作品についての考察を通して、志賀直哉と廉想涉の文学における最終的な目標である「自己を生かす」ことを、各、作家たちの環境と「調和」しつつゆく過渡期をみつける。そして、初期文學の主人公から見られた、近代性と共に伝えられた個人主義が、中期作品では個人主義の志向とともに、他者との折衷しようとする意地が窺える。かく環境との折衝性と個人主義の志向という、二つの特異性が共存しているということも、また志賀直哉と廉想涉が活動していた世代の特殊性と言えよう。